2014年8月29日金曜日

11月15日まで、カトリック東京大司教区カテドラル構内スペースセントポールで絵の展示をしている。15人の神父と大司教、司教、合わせて17人の肖像画。
結構いい展示になったかなと思い込んでいる。期間が長いので時々新しい絵と替えようと思っているが、9月10月は出版の仕事で忙しいので絵が描けるかどうか心配だ。
新しい絵はイメージがだんだんに頭の中で出来つつある。もうちょっと。今までの絵ももっと描き込めば良かったかな。
オルセー美術館展を観てきた。本場の油絵は全然違うことに改めて感動。私も水で溶く油絵の具でもたまには使ってみようかと思う。
これからいろいろ描いてみよう。
再び神父が帰天した。正に木が枯れるように、96年生き続けた老木が真夜中に眠りながら、ふっと去ってしまった。
12歳で親元を離れ教会の中で一人で生きてきたそうだ。その最後の2年間を見ることが出来た。神父が大切にしていたアルバムの中に、偶然にも私の祖母の写真を見つけた。たぶん私が小学生くらいの頃の写真だろう。もしかしたらあの頃一度くらいは会ったことがあるのだろうか。
20歳前後の頃、カテドラルの元旦のミサに親父と行ったことがある。帰りの車の中で親父がふいに「今日の神父は名前が金の蔵って書くんだぜ。おぼえておけよ」と言っていた記憶がある。そんな巡り合わせもある。この神父の絵は何枚も描いた。

2014年8月1日金曜日

神父の臨終に立ち会った。夜、駆けつけるとすでに呼吸は停止。心電図が最後に少しだけ反応したように見えた。荘厳というでもなく、あっけないというでもなく。
目を閉じた顔を見ながら司馬遼太郎の正岡忠三郎の葬儀での弔辞を思い返していた。「苦しみの肉体、すでに無し。その魂のかぎりなくしあわせならむことを祈り、信じ、その大いなる魂に習いて、限りある世を誠実に生きることをここに思う。」
柄にもなく、限りある世を誠実に生きる、という言葉を何度も思い返していた。