2012年8月28日火曜日

2012年8月18日土曜日

なぜ今まで絵を描かなかったのだろう。時間はいくらでもあったはずなのに。

年末に事務所を月島に戻そう。だいぶ不便になるがいらないものはすべて捨てて、一からやり直す。一からどころかマイナスからやり直すこと。
もう物を持っていても何にもならないからもう一度全て捨てる。パソコンとコピー機と書類だけ。仕事をして、空いてる時は絵を描いて、そういう生活をしないと。
伊東屋で1ミリ厚のケントボード2枚、広く塗れるファーバーカステルの鉛筆6B、9B、羽根箒を買う。店員さんが偶然にも高橋さん。久しぶりの出会い。
矢切に戻りキーシンがピアノでカラヤン指揮のチャイコフスキーピアノ協奏曲を聴きながら絵を描く。キーシンは高校生くらいか、ずいぶん昔の動画のようだがカラヤンは80歳くらいだろうか。キーシンのピアノソロをたくさん聴く。これこそが天才か。
4時間近く夢中で描く。20年以上忘れていた感覚が次々に戻ってくるようだ。
今の世の中は絵を描くより楽しいことが沢山あると思っていたが、そんなことは無かった。これが楽しい時間だった。

2012年8月16日木曜日

久しぶりに

久しぶりに鉛筆で絵を描いてみた。10B、8B、5B、4B、2B、2Hと擦筆を使う。4時間ほど夢中になって描いたろうか。ステッドラーの鉛筆が良いと気づいた。今まではファーバーカステルだったがステッドラーは強い色に向いてる。
描いている途中でふと、ヨハン・アルデンドルフの名前を思い出す。今まですっかり忘れていた名前だが、手を動かしているときに思い出した。今まで忘れていた。インターネットで検索。いくつか懐かしい鉛筆画が出ていた。ずっと長い間忘れていた感覚が甦ったみたい。上手に描こうなどという気も失せる。
なぜ20年以上もやらなかったか。40代半ばでやろうとしたこともあったけど、今この状態にならなければやらないものか。なぜ今までやらなかったのだろう。

2012年8月11日土曜日

上野の東京都美術館にブログリンクしているハトちゃんとiijimaの3人でフェルメール、青いターバンをまいた振り返る少女の肖像を観に行った。平日午後だったがかなり混んでいた。フェルメールもこんなに大勢が長蛇の行列で観てくれるとは、しかもこんな東洋でとは思わなかっただろう。まったく予想もしていなかったがレンブラントの最晩年の自画像があってびっくり。学生の頃から一度観たいと思っていた本物があったので感激した。もし、今が学生の頃だったらどんなに感動したろうと思うが、このトシになってから観るとまた違った感慨がある。絵の具の塗り方や筆の運び、目の描き方、右目と左目の表現の違い、陰影の付け方、そんなところに目が行く。随分冷静に観たと思う。
この日は他に芸大現役教員の小品展と国立博物館の常設を急ぎ足で観たが、国立博物館はまる一日かけてゆっくり観たい。常設展だけで充分。仕事や金勘定を離れて一日中いれば何だか人間的にも変わることが出来るような気がする。そんな気持になった一日。

2012年8月7日火曜日

『忠三郎の大人(うし)、臨終まで意識あきらかにして、魂のかがやき常のごとし。ときに台風の予報あり。夜半、風はげしく、地上の塵を払い、気は澄み、天ほがらかにして夜、明く。明くれば天に赤き光走り、満ち、朝焼けの景観、つねに無く赤きことはなはだし。
忠三郎の大人、病室の窓より天を仰ぎ、その大いなる感受性を以って驚嘆の声を揚ぐ。朝焼けのさかんなるまま、いくばくもなくして、その魂、肉体を離る。
およそ人の事、世にある、世に無き、そのことは一つ原理(ことわり)の中にありて、わずかに影形のちがいあるのみ。われ、たまたま世にある者の一人として、ヨセフ正岡忠三郎大人の大いなる魂に対(むか)う。
苦しみの肉体、すでに無し。
その魂のかぎりなく幸福(しあわせ)ならむことを祈り、信じ、そのあとはヨセフ正岡忠三郎の大人の大いなる魂に習いて、限りある世を誠実に生きることをここに思う。』
司馬遼太郎の正岡忠三郎の葬儀で読んだ弔辞のラスト部分。この格調高い文章に感動。

2012年7月31日火曜日

無期

久しぶりに松本清張の犯罪小説を読んだ。殺人事件で逮捕され一度は自供したけれども、実は警察に騙されて嘘の自供をしたと言って結局は証拠不十分で無罪になる男の話だが、実は巧妙に仕組んだものだったという、もう20年以上前に読んだものだが二度目でも面白い。
気になって最近の犯罪の裁判結果を調べてみた。重大事件のブログの感想などを読むと相変わらず無期懲役は軽すぎるという意見が多い。僅か数年で仮出所できるから軽すぎるというものだが、実は無期懲役は非常に厳しい。ブログにコメントしようかと思ったが気味悪がられるといけないのでやめた。
かつて矯正関係の人から死刑制度についてどう思うかと聞かれ、ドギマギしてしまいトンチンカンなことを言ってしまった記憶があるが、それ以来死刑制度や量刑などに興味がある。死刑を減刑されて無期懲役になると「軽すぎる」という意見があるけれども、どうだろう。無期の人生ってどんなだろうと空想する。そういう小説はないものかな。
自分の顔つきが悪くなっているのではないかと時に不安になる。特に月末、金策に走り回っているとき、顔つきは大丈夫だろうか。自分を奮い立たせるためにも物を作りたい。何か形あるものを作らねば。
トシのせいもあるのだろうか、時に言いようの無い不安感に襲われる。ここ数年間の低調さ加減が終わるように。

2012年7月25日水曜日

顔つき

自分の顔を描くのが好きだ。鏡をみながら鉛筆と擦筆と練りゴム、消しゴムで。
50歳を過ぎて皮膚がたるんで皺が増えているが、そういったところを丁寧に描いていきたい。若い頃からの自画像と比べる。いい顔つきでいたいと思う。顔つきが悪くならないようにとここ数年は思っていた。
大津のいじめの記事が気になる。テレビで誰かが「アメリカの学校は何か問題が起こった時にどう対処したか、どう解決したかで評価されるが、日本の学校は何事も無いことが評価される」とのこと。なるほどと思う。かつて誘拐事件で、誘拐された子どもの親が事件の解決後に「世間をお騒がせして申し訳ない」と言っていたのが印象的だったが、日本は世間を騒がせるというのが一番いけないことになっているようだ。
波風の立たない平穏無事な人生が一番と子どもの頃によく言われた。人生経験を積めとも言われた。プラスになる経験を積むってことだろう。
「何事も無いより何かあった方がいい」。人に迷惑をかけない程度に。

2012年7月21日土曜日

楽しくなりたい

ロト6はなるべく毎回買うようにしている。2通りで連続10回、合計4000円。または5通り1000円。数字は自分の誕生日の数字を2つ入れて、あとは素数と末尾が0の偶数から。10のスライド法も時々取り入れる。または素数3つと偶数1つ奇数1つと末尾が0の偶数にする場合もある。
2年前の7月にロト6で3等78万円を取った。「ツキの法則」(PHP新書)によると宝くじの期待率は48%くらいとのことだが、一応はるかにプラスの成績になっているのでさらに買い続けていつか1等を取ろうと思っている。ビッグも3回ほど買ってみたけどサッカーにまったくと言っていいほど興味が無いので向かないみたいだ。
パチンコは面白いが儲かることはない。期待率は90%以上とのことだがそんなに回収出来ている人が本当にいるかどうか。もうそろそろ、次の500円で出るかも、と思いっきり期待させておいてずーっと出ない場合がほとんどだから。パチンコ屋さんにお金を捨てに行っているようなものだ。
ギャンブルをやっていると頭の回転が非常に悪くなるように思う。人とうまく話が出来なくなるような、集中力が無くなってしまうような、そんな感じだ。
小さな会社や自営業は毎日がギャンブルみたいなものだ。経営者とはある程度はギャンブル好きかも。今、うちは最悪の状態を迎えているけど、いつかいい目が出ることを期待して堪えていくしかない。もうそろそろ、次の企画で、と期待しては損ばかりしている。
貧すれば鈍するみたいにダメな時は頭が回転しなくなる。目先のことしか見えなくなる。
今、毎日を楽しむってことが無くなってしまっている。
寺山修司みたいに競馬を楽しんで、それでいて形あるものを創れるようになれたらいい。
どんなものでもいいから手を動かして物を作って、普段はそんなに儲からなくても時々大きく儲かって、余裕が出来たら遊んで、そんな刺激のある毎日を過ごしたい。
「人生は楽しむこと」っていう簡単なことに思いを馳せる。

2012年2月3日金曜日

 待てば海路の日和有り、か。ひとつひとつ夢を実現していこう。
やりたいことはいくつもあるが、私は崖っぷちに立たされないとなかなかやらない。今がその崖っぷち。追いつめられたが得るものも大きい。

2012年1月26日木曜日

放射能汚染はいつもニコニコしている人には来ないで、いつもクヨクヨしている人に来るそうだ。つまり、いつも噂や根拠のない風説に惑わされてあたふたしている人は、それだけで気を病んでしまって免疫力が下がってしまうということ。
放射能汚染のところを「経済不況」とか「病気」なんかに変えても通じる。いつもいい顔でいたい。

2012年1月19日木曜日

いつもどこかへ行く途中でいたい。いつも山に登る側の道にいたい。
手を動かして物を作っている人の言葉は面白い。安定は異常であって不安定が常である。長い間忘れていた感覚が頭をもたげる。今自分の作っているものは何なのだろう。

2012年1月17日火曜日

この冬は星がよく見える。節電で夜が以前より暗くなったからだろうか。ようやく2011年が終わって心機一転の2012年。今年こそ、今度こそと思う。