2012年8月7日火曜日

『忠三郎の大人(うし)、臨終まで意識あきらかにして、魂のかがやき常のごとし。ときに台風の予報あり。夜半、風はげしく、地上の塵を払い、気は澄み、天ほがらかにして夜、明く。明くれば天に赤き光走り、満ち、朝焼けの景観、つねに無く赤きことはなはだし。
忠三郎の大人、病室の窓より天を仰ぎ、その大いなる感受性を以って驚嘆の声を揚ぐ。朝焼けのさかんなるまま、いくばくもなくして、その魂、肉体を離る。
およそ人の事、世にある、世に無き、そのことは一つ原理(ことわり)の中にありて、わずかに影形のちがいあるのみ。われ、たまたま世にある者の一人として、ヨセフ正岡忠三郎大人の大いなる魂に対(むか)う。
苦しみの肉体、すでに無し。
その魂のかぎりなく幸福(しあわせ)ならむことを祈り、信じ、そのあとはヨセフ正岡忠三郎の大人の大いなる魂に習いて、限りある世を誠実に生きることをここに思う。』
司馬遼太郎の正岡忠三郎の葬儀で読んだ弔辞のラスト部分。この格調高い文章に感動。

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