2015年4月24日金曜日

鉛筆画


およそ2カ月半かけた。30年近く前に描いた「びっくり箱から飛び出した少年時代の秀郎君」は同じ大きさで1年かけたが、それよりもよく描けたと思う。57歳にしてやっと完成した絵を描けたと思っている。
ある程度形が出来てからは、ほとんど何も見ないで描いたので、本人にはあんまり似ていないかも。もしかしたら私にちょっと似てしまったか。親族の方たちは何と言うかな。
荒井神父が絵の中から「もうちょっとここを描いて」と言うかも知れないので定着液は5月に入ってからかける。

2015年4月1日水曜日

司祭帽


ようやくここまで描けた。ここまでおよそ1カ月半くらい。今まで描いた絵で一番大きい。神父のほぼ等身大か少し大きいか。ここからが勝負って感じ。ほとんど鉛筆のみ。聖書だけ色鉛筆と水彩を使った。バックはこれから木炭で仕上げるつもり。あと1カ月くらいかけてみよう。タイトルは「司祭帽の荒井神父」。

2015年2月3日火曜日

荷造り

5日に引っ越す。天気予報は雪。矢切と月島を同時に引っ越して佃にひとつにまとめる。矢切にあるものはほとんど捨てることにした。6年ほど前に足立から引っ越した時にもほとんどの物を捨てたが、また物が増えている。この数日で一体どれほどのゴミ袋をふくらませて捨てたことか。また引っ越し当日には業者に多くの物を引き取ってもらうことになる。

今日は昼間、およそ半年かけた仕事を終了した。3・11の大震災の時に刑務所の刑務官や少年院の法務教官たちがどのように動いたかを記録したドキュメント本。100年残る仕事と思って力を入れた。読み応えのある内容だが一般にはほとんど販売されないのが残念。こういう「残る仕事」をこれからもやっていければいい。終わってしまう寂しさを感じた一日だった。

2015年2月1日日曜日

すごい

https://www.youtube.com/watch?v=OLlux8ICOfI

すごいすごい! 神業! よく息が続くものだ。音楽って本当にすごい。。
それにしてもこういった感じで怒られてみたいものだ。。

2015年1月30日金曜日

いよいよ引っ越し

20数年間、事務所にしたり自宅にしたり、展覧会場にしたり自宅兼事務所にしていた702を引っ越す。今度は611になる。ここから歩いて5、6分か。電話番号も変わらない近さだ。感慨深いものはあるが、なるべく感慨にふけらないようにしている。別のことを考えるようにしている。

昨日、ふと思ったのは消しゴムのこと。消しゴムは消すだけでなく絵を描く道具でもあるはず。カッターで鋭角に切って、鉛筆で塗りつぶしたところに細い白い線を描く。消していることには変わりはないが、これはりっぱに描く行為だ。でも、どんな絵でも「鉛筆で描いた」とは言うけれども「鉛筆と消しゴムで描きました」とは言わない。これでは消しゴムの立場が無いじゃんと思ってしまう。かと言って私も絵の題名の下に「鉛筆、水彩、アクリル」とは書くけど、そこに「消しゴム」を付け加えることは、、やっぱり書かないなぁ。

2015年1月11日日曜日

https://www.youtube.com/watch?v=Y4o7ttdxdKk


これはすごい。さぁ、これから頑張ろうという時に聴くといいかも。かつてオスマントルコは世界を征服したという内容だそうだ。阿修羅の如くだったか、テーマ曲にもなっていたはず。この行進曲が遠くから聞こえてきたら敵はみんな逃げたそうだ。それにしても太鼓を叩いているのがガキデカに見えてしまって仕方がない。

そこにいるってだけ

また大司教の肖像画を描きはじめた。上半身のみ、ほぼ等身大か少し小さいか。
鉛筆と水彩色鉛筆、水彩絵具で。出来る限り描き込んでみよう。バックは白のまま。
人がそこに存在する、それだけ描ければと思う。それだけで十分ではないだろうか。
何も飾らずにそのままを描けたらいい。
本当は3時間くらいだけでいいから本人に座ってもらって描いてみたいが。
もう一枚は昨年96歳で帰天した神父を描いてみるつもり。これも上半身等身大で。
一人の人間がその画面の中にいる。重さ、空気、顔の皺、服の質感、これから時間が空いたらどんどん描いてみよう。


2015年1月9日金曜日

復活

キリストの復活、人間の死後の復活、永遠の命、これらは一体どういう意味なんだろうと、時にそんなだいそれた事を思う。復活の目的は何だろう。人間の100年に満たない人生の行いの結果に永遠の命があるとしたら、人生の一瞬の行いが永遠の報いに繋がるとしたら、何かアンバランスのような気がする。何のために復活するのだろう。

2014年は生涯忘れられない年だった。椎間板ヘルニアの手術、痛風の痛み、26年ぶりに絵を描いたこと、会社売り上げ最低記録更新、毎月末にやってくるお金の算段の苦しみ、二人の神父の死、たった一日だけだったけど最高の喜びだった絵の展示、それに続く3カ月にわたるスペースセントポールでの絵の展示、絵を買ってくれる人が現れたこと、仕事の上でようやく光明が見えたこと、奇跡のように何度も危機を乗り越えられたこと、多くの人の助けがあったこと、そして最後に兄弟と家のこと。良い事も悪いことも大きなうねりのように繰り返しやってきた。
今年、もしかしたら生まれ変われるかも。そんな大げさではないが、挽回出来るチャンスが目の前にやってきたように思える。復活などという大げさなものではないが、一度は息の根が止まっていたのがフッと息を吸い始める、そんな空想をしている。